思い出せない過去、その原因と向き合い方:SDAMとアファンタジアの視点から
「自分の過去の出来事を、まるで昨日のことのように鮮明に思い出せない…」
そんな経験はありませんか?
人は、日々の出来事を記憶し、それを元に自己を形成していきます。
しかし、ある種の記憶障害によって、過去の体験を思い出すことが困難になる場合があります。
特に、視覚的なイメージを伴わずに過去の出来事を「追体験」する能力が著しく低い「SDAM(Severe Autobiographical Memory Deficit:重度の自伝的記憶障害)」は、私たちが当たり前だと思っている「記憶」のあり方を問い直させます。
本記事では、このSDAMに焦点を当て、その特徴や、近年注目されている「アファンタジア」との関連性、そして過去の記憶を思い出せないこととどう向き合っていくべきかについて、専門的な知見を交えながら解説します。
忘れられないはずの輝かしい思い出や、乗り越えてきたはずの苦難。
それらが、まるで他人の物語のように感じられるとしたら、それは一体なぜなのでしょうか。
この探求を通して、ご自身の記憶との向き合い方を見つめ直すきっかけとなれば幸いです。
SDAMとは?心の中の「追体験」ができない記憶障害
SDAM(Severe Autobiographical Memory Deficit)は、2015年に定義された比較的新しい記憶障害であり、その理解はまだ十分に進んでいません。
この障害を持つ人々は、過去の出来事に関する事実(いつ、どこで、誰と何をしたかなど)は知識として記憶しているものの、その出来事を心の中で映像や感覚として「追体験」することが極めて困難です。
例えば、大学時代に困難な問題に直面した経験について語るよう求められたとしても、具体的なエピソードや、その時の感情、周囲の状況などを鮮明に思い出すことができないのです。
「研究プロジェクトに携わった」といった事実は思い出せても、そのプロジェクトでどのような困難に直面し、どのように乗り越えたのか、といった個人的な体験の「質」を伴った記憶の想起ができないのがSDAMの特徴です。
これは、単に物忘れが激しいといった健忘症とは異なり、過去の出来事を「個人的な体験」として再体験する能力そのものが低下している状態と言えます。
この「追体験」の困難さは、過去の出来事に対する感情的な結びつきや、自己認識にも影響を与える可能性があります。
まるで、自分の人生の記録を、客観的な事実の羅列としてしか捉えられないかのような感覚かもしれません。
SDAMは、私たちの記憶がいかに感覚や感情と密接に結びついているかを浮き彫りにします。
アファンタジアとの関連性:イメージできない記憶
SDAMと深く関連している可能性が指摘されているのが、「アファンタジア」です。
アファンタジアとは、心の中でイメージを思い浮かべることができない状態を指します。
例えば、「リンゴ」と聞いても、その形や色、質感などを視覚的にイメージすることができないのです。
人口の約2~5%がアファンタジアであると言われており、自身をアファンタジアだと認めるマルコ・ジャンコッティ氏は、アファンタジアに加えてSDAM、あるいはそれに近い症状を患っていることを公表しています。
ジャンコッティ氏の報告によれば、SDAM患者の約半数はアファンタジアも併発しているとされています。
これは、心の中で視覚的なイメージを形成できないアファンタジアと、過去の出来事を精神的に追体験する能力が低いSDAMが、記憶の想起という点で共通の基盤を持っている可能性を示唆しています。
過去の記憶を鮮明に思い出すためには、その時の情景や感覚を心の中で再現する能力が不可欠です。
アファンタジアによってイメージを形成する能力が限られている場合、過去の出来事を「追体験」する際にも、その記憶の「映像」部分が欠落してしまうと考えられます。
結果として、SDAMの症状がより顕著に現れる、あるいはSDAMとアファンタジアが併発しやすいという関係性が生まれるのかもしれません。
この両者の関連性は、記憶のメカニズムを解明する上で、非常に興味深い研究テーマとなっています。
思い出せない過去との向き合い方:記録の重要性
素晴らしい思い出がたくさんあるはずなのに、それを思い出せないのは、とてももったいないことだと感じるかもしれません。
SDAMやアファンタジアといった記憶の特性を持つ人々にとって、過去の出来事を「追体験」できないことは、自己認識や他者との関係構築において、独特の課題をもたらすことがあります。
しかし、記憶を思い出せないからといって、その経験が無意味になるわけではありません。
むしろ、このような記憶の特性を持つからこそ、過去の出来事を記録することの重要性が増してきます。
日々の出来事を日記に書く、写真や動画を撮る、家族や友人とその日の出来事を共有するなど、意識的に記録を残す習慣は、記憶の「補完」として非常に有効です。
これらの記録は、後から過去を振り返る際の「手がかり」となり、記憶の断片を繋ぎ合わせる助けとなります。
また、記録を通して、過去の出来事に対する客観的な事実だけでなく、その時に感じた感情や、周囲の状況なども、他者の視点や記録された情報から推測し、理解を深めることができます。
たとえ心の中で鮮明に追体験できなくても、記録という形で「証拠」を残しておくことで、過去の自分と繋がり、自己理解を深めることができるのです。
記憶のあり方は人それぞれであり、思い出せない過去があることを否定する必要はありません。
むしろ、その特性を受け入れ、記録という形で「保存」していくことが、豊かな人生を送るための鍵となるでしょう。
まとめ:記憶の多様性と自己受容
「自伝的記憶」という言葉から、私たちは誰もが過去の出来事を鮮明に、そして感情豊かに思い出せると無意識のうちに考えてしまいがちです。
しかし、SDAMやアファンタジアといった記憶の特性を持つ人々が存在することを知ることで、記憶のあり方には多様性があることを理解できます。
過去の出来事を「追体験」する能力が低いSDAMや、心の中でイメージを形成できないアファンタジアは、私たちが記憶をどのように形成し、保持しているのかという根本的な問いを投げかけます。
これらの記憶障害は、決して「欠陥」ではなく、人間の認知の多様性の一部として捉えるべきです。
思い出せない過去があるからといって、ご自身の人生が色褪せるわけではありません。
むしろ、記録を積極的に活用し、過去の出来事を客観的に理解しようと努めることで、独自の視点から自己を形成していくことが可能です。
大切なのは、ご自身の記憶の特性を理解し、それを受け入れることです。
そして、過去の出来事を「追体験」できないという事実に囚われるのではなく、記録という形で「保存」し、そこから得られる情報や他者との共有を通して、豊かな人生を築いていくことです。
記憶の多様性を認め、自己受容を深めることが、より充実した日々を送るための第一歩となるでしょう。
